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こんにちは 荒蒔です。

毎日の業務 お疲れ様です。

本日は、京都シリーズ第六弾 平安京の魔界封じ(霊的武装)についてお話します。

それでは、参りましょう。

京都シリーズ第六弾 平安京の魔界封じ(霊的武装)

魔界封じについて

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作家の故火坂雅志の「魔界都市・京都の謎に、魔界封じについて詳しく述べられています。

桓武天皇は、磐座(いわくら)『京都では、「岩倉」という』〈神を祀る神社の原始の姿〉

平安京内に散在する磐座のうち、東西南北四つの磐座を掘起こし、巨石の下に悪鬼を退散

させる霊験あらたかな経典を巨石の下に、「一切経」(大蔵経)を埋めさせました。

(仏教の霊験で都を守ろうとした)さらに、神道の力で平安京に東西南北に、

「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)を降臨させたのです。

スサオノは、太陽神アマテラスオオミカミの弟神で、天の岩戸神話は有名であります。

都を守るスサノオノミコトに「大将軍」という名前を与えました。

四つの大将軍のうち西の大将軍にあたるのは、

「大将軍八神社」(上京区一条通)の「八」とは、スサオノミコトの、息子の八神も合わせて祀っています。

四つの大将軍は、「方除け」の神として今でも信仰されています。

桓武天皇は、平安京を「岩倉」と「大将軍」とを設け、呪的バリアで覆ったのです。

(岩倉・大将軍等は、京都西陣在住の方々がネットで詳しく紹介していますので割愛)

平成30年6月30日大将軍八神社の水無月の大祓式・夏越神事(半年に一度心身に付いた罪・穢れを清める為)にお参りしてきました。

水無月の大祓と12月31日(師走の大祓)と年に二回実施されます。

さらに、最も危険な艮(うしとら)〈東北〉の方角、即ち『鬼門』を固めたのであります。

鬼門とは

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鬼門とは、鬼や魔の侵入口として人々に恐れられていたのです。

について一言。子が悪いことをした時に親は「こらっ」としかります。

(こらっの語源は「懲らしめるぞ」か「これはなんとひどいことをしでかしたのか」のどちらかです)

漫画で、表現するときに、子供を威嚇する姿を鬼の角として、表現したものであります。

「鬼」は日本語ではなく、中国語です。

「鬼」は死体の表敬文字で、そこから、死霊の物の怪をさすようになりました。

鬼のイメージは、上半身裸で、虎の腰巻一丁。

体中の毛は濃く、癖のある頭髪はアフロヘア―、胸毛・脛毛に至るまで毛むくじゃらです。

頭の上には一本ないし、二本の角が生えています。

ここからが本論、鬼門の由来は、十二支の方位を

北を「子(ね)」にして、方位を12分割しますと、東北の方角は、「丑」「寅」になります。

東北は、物の怪が出入りする方角で、これを『鬼門』といいます。

鬼の図像的イメージとして、鬼の体の上半身は、丑=牛で、下は寅=虎となり、

頭には、牛の角があり、腰には、虎柄のパンツというスタイルが、出来上がったのです。

桓武天皇が周到な配慮をもって鬼門方向を固めたこと

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桓武天皇が周到な配慮をもって鬼門方向を固めたことを述べていきます。

最も危険な方向に必ず猿がいます。

第一番目は、京都御所の「猿ケ辻」について、

故作家の火坂氏は、御所の北東隅の角が直角に欠かれ、塀が内側にへこんでいるのです。

これは、鬼門除けのため、わざと角を欠いているからに、ほかならないといえます。

塀の屋根瓦の下に、頭に烏帽子(えぼし)をつけて御幣『神道の祭祀で使われる幣帛(へいはく)のひとつ』

〈幣帛は神に奉るものの総称〉を担いだ不思議な猿の彫刻があります。

第二番目は、幸神社(さいのかみのやしろ)薄暗い格子の奥に烏帽子をかぶって、御幣を担いだ猿の像があります。

京都出身女優の杉本彩様の本「京都の恋めぐり」に幸神社の猿を初めてカラーで紹介されました。

感動して、新幹線に乗り幸神社に向かい、絵馬×2枚買い、その内の一枚を京都通の友人に上げました。

第三番目は赤山禅院であります。

平成3年4月29日の自分の納経帳には、皇城表鬼門 赤山大明神(せきざん)と書かれております。

赤山禅院の猿も手に御幣を持ち、全体を金網でおおわれております。

(司馬遼太郎氏の街道をゆく16 叡山の諸道の中に赤山明神が紹介)延暦寺別院の赤山禅院の本尊は、

通称・赤山明神でありますが、実体は泰山府君であり、

天台三代座主の円仁が、中国唐から、招来した神であり財運増強に、効能があるといわれております。

第四番目は、比叡山延暦寺の守護神の日吉山王神社(ひえさんのうじんじゃ)の神使いが猿なのです。

平安京の鬼門に猿が置かれる理由は、『鬼門』すなわち艮(うしとら)〈北東〉の反対側は、(ひつじさる)〈南西〉といって、

北東の鬼門に対し、裏鬼門と呼ばれています。

裏鬼門の干支の動物の申=猿は、危難ヲ去ルとか、魔が去るといわれがあります。

中国道教では、猿が厩(うまや)の守り神とされていて、それを踏まえ、「西遊記」にも孫悟空が、天帝の厩の番人にされるところが出てきます。

悟空は「自分をただの猿あつかいにした」ということでおこるのであります。

赤山大明神は、山王日吉大権現とともに、叡山の守護神であります。

北東の鬼門に対し、この南西の裏鬼門がやはり、鬼の侵入口なのであります。

次に、裏鬼門の方向を固めたのは、

桓武天皇の皇后乙牟呂(おとむろ)の発願によって、造営された大原の神社であります。

洛南竹田の地に、築かれた城南宮があります。

さらに、鬼門・裏鬼門の反対側(鬼門に対して神門という)の

巽(たつみ)〈南東〉、(いぬい)〈北西〉にも、魔界封じを行うのでありました。

桓武天皇は、巽(南東)を守るために、今熊野(いまぐまの)の地に宝剣を埋め、

その上に神社を造っりました。これが剣神社であります。

乾(北西)には、平安遷都以前からあった、愛宕山の愛宕神社を整備して、

国家鎮護の意味を込めて、愛宕護山大権現と名付けたのであります。

さらに、内裏の方を向いて立つ「東向観音寺」(北野天満宮近く)や、洛西の「松尾大社」。

東山三十六峰の華頂山に置かれた、「将軍塚」も魔界封じの一つであります。

剣神社について

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今年の1月19日(土)に京都祇園の仲源寺と剣神社に行ってきました。

剣神社へは、祇園からバスで、207系東福寺方面のバスに乗り、泉涌寺で降ります。

泉涌寺バス停から、八坂神社方面へ少し戻り一本道を入り歩いて5分で着きます。

なぜ、剣神社について詳細に書いた訳は、京都シリーズを読んでいただいておられる方々に、

ご協力のお願いを致したく筆をとらせていただきました。

あまり知られていないからか、剣神社は閑散としております。

剣神社が昨年の8月24日の台風で、楠の鳥居が破損しました。

現在応急措置として、添え木を当てて維持しております。

立て看板に、鳥居の修復のお願いが書かれておりました。

何もできませんが、一人でも多く、足を運んでもらおうと思う気持ちです。

剣神社は、全国でも珍しい、飛び魚は(剣の神の使い)が絵馬として書かれております。

剣神社の神主のおかみさん(80才)と1時間ほど世間話をしました。

神主のおかみさんは、いい意味で、小生を変わり者の人、変人として見ておりました。

長年の経験から、剣神社に来る人の中で、感じ取ったのでしょうか。

平安京の守り神として残さないといけない剣神社だと思います。

馬町のウナギの三島神社の話も出ました。(秋篠宮天皇の安産祈願に出向いた)

以上直近の出来事を報告いたしました。よろしくお願い致します。

次回は、千利休切腹自殺について私見を述べたいと思います。